【歴史ロマン・前編】王室を追放された不屈の王女「マリアンネ」とシュロスラインハルツハウゼンの奇跡
ラインガウの銘醸ワイナリーとして知られる「シュロス・ラインハルツハウゼン」。
この美しい城の歴史を紐解くと、19世紀のヨーロッパ王室を揺るがした、ある一人の破天荒な王女の姿が浮かび上がってきます。
彼女の名は、マリアンネ・ファン・オラニエ=ナッサウ(1810–1883)。
昼ドラも真っ青になりそうな愛とスキャンダル、そして極上のワインに生きた彼女のドラマチックな生涯に迫ります。

1. 泥沼の結婚生活と、身分違いの不倫劇
マリアンネは、実家がオランダ王室(国王ウィリアム1世の娘)、嫁ぎ先がプロイセン王室(アルブレヒト王子と結婚)という、当時のヨーロッパにおける最高峰の名門中に名門の生まれでした。
しかし、政略結婚の生活は最悪そのもの。夫の度重なる浮気と暴力に耐えかねたマリアンネは、ついに夫を捨てて実家へ飛び出してしまいます。
失意の彼女を支えたのは、自身の御者(馬車の運転手)であり、旅の連れ添いであったヨハネス・ヴァン・ロッスムという男性でした。二人はやがて、身分を超えた激しい恋に落ちます。

(ヨハネス・ヴァン・ロッスム像)
2. 「不義の子」の出産、そしてヨーロッパ王室からの追放
1849年、マリアンネはロッスムとの間に男の子(ヨハネス・ウィリアム)を出産します。これが、ふたつの大王室を揺るがす大スキャンダルとなりました。
激怒したプロイセンとオランダの両王室は、彼女に非情な処分を下します。
- 当時としては超異例の公式な離婚。
- プロイセン領内への「24時間以上の滞在禁止」という事実上の国外追放処分。
名誉も居場所も、一瞬にしてすべてを失ったのです。
3. 反骨精神で「ラインハルツハウゼン城」を購入
しかし、マリアンネはただ泣き寝入りするような悲劇のヒロインではありませんでした。 彼女には、実家から引き継いだ巨万の富(オランダ王室の財産)があったのです。
1855年、彼女はプロイセンの法がギリギリ及ばない境界線近くにあった「ラインハルツハウゼン城」を自らの財力で購入。ここを終の住処と定めました。

(現在のラインハルツハウゼン城の様子。ここにまもなくIHG系列のホテルが開業する予定です。)
周囲の冷ややかな目をよそに、愛するロッスム、そして息子と共にこの城で堂々と暮らし始めます。城を壮麗に改築し、膨大なアートコレクションを集め、文化人たちを招待して華やかなサロンを開いたのです。王室の古いしきたりに対し、彼女なりの方法で反骨精神を見せたのでした。
4. ワイナリーとしての才能が開花
彼女の最大の復讐であり功績となったのが、城に付随していたブドウ畑(ワイナリー)への熱狂的な投資でした。
ライン川の中州である「マリアンネアウェ(マリアンネの島)」を開拓したのも彼女です。「王室を追放された女」としてのプライドもあったのでしょう。彼女の優れたビジネスセンスによって、ワイナリーは瞬く間にヨーロッパの社交界が絶賛する最高級ブランドへと成長していきました。

聖地のワインに思いを馳せて
スキャンダルにまみれながらも、古い王室のしきたりに縛られず、自らの愛とワインへの情熱を貫き通したマリアンネ王女。
しかし、そんな不屈の彼女にも、あまりにも悲しい別れが訪れます。愛する息子、ヨハネス・ウィリアムがわずか12歳という若さで病死してしまったのです。
最愛の我が子を失ったマリアンネは、深い悲しみと追悼の祈りを込めて、シュロス・ラインハルツハウゼンのすぐ目の前に、美しく気高きひとつの教会を建てました。それは、彼女の激動の人生の「誇り」と「母としての愛」が形になった場所でもあります。
――この教会に隠された切なくも美しいお話は、次回のブログでたっぷりとお届けします。
シュロス・ラインハルツハウゼンを訪れた際、あるいはそのワインを口にする時。城の前に佇む教会を見上げながら、彼女の型破りでエネルギッシュな、そして愛に生きた人生に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?いつもの1杯がいつもより少し力強く、深い味わいに感じられるかもしれません。

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