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ドイツの小さな田舎町と「飛鳥III」の奇跡。在住日本人が見つめた奇跡の足跡

ドイツの小さな田舎町と「飛鳥III」の奇跡。在住日本人が見つめた奇跡の足跡

ドイツの北西部、オランダ国境近くに位置する人口約3万人の静かな町、パーペンブルグ(Papenburg)。

この平和な田舎町が、日本の豪華客船「飛鳥III」の誕生によって、かつてないほど日本との深い絆で結ばれた時間がありました。現地在住の日本人妻の目線から、飛鳥IIIがこの町に残した日独の足跡をドキュメントとして記録したいと思います。


1. 静かな町に突如訪れた「日本」

パーペンブルグは市内に運河が流れる美しい景観を持つ、ドイツでも極めて平和な地方都市です。筆者は2016年の結婚を機にこの街に移住してきました。

当時、日本人はもちろん筆者ただ一人。日本語を話す機会もほとんどなかったこの町に、ある日、大きなプロジェクトが転機をもたらします。

それが、日本の豪華客船「飛鳥III」の建造でした。

パーペンブルグが誇るマイヤー・ヴェルフト(Meyer Werft)は、世界屈指の技術力を誇る老舗造船会社です。その工場で飛鳥IIIの建造が始まると、街の風景は一変しました。

日本から関係者やエンジニアの方々、出張者さんたちが次々と訪れ、多い時には約100名もの日本人がこの小さな町に滞在。スーパーでも日本人を見かけることが増え、ついにはあるスーパーマーケットで日本食材の取り扱いが劇的に増加。

それはこの小さな田舎町で暮らす筆者にとって、まさに奇跡のような光景でした。


2. パーペンブルグ別れの儀式「コンベイヤンス」

着々と建造が進み、飛鳥IIIは2025年の冬、パーペンブルグを離れる別れの日を迎えました。

マイヤー・ヴェルフトで造られた巨大な船は、狭いエムス川を何時間もかけて慎重に下り(コンベイヤンス)、北海へと向かいます。


(造船所にて着々と工事が進む飛鳥Ⅲ。パーペンブルグを離れる直前の姿。造船所の駐車場からパチリ)


北海でのテスト運航を経て、その年の3月、ドイツ北部のエムデン港からいよいよ日本に向けて旅立ちの時を迎えました。

その日の港には多くの地元ギャラリーに加え、ドイツ国内から駆けつけた大勢の日本人の姿がありました。筆者も別れを告げるため、エムデン港へと向かいました。

パーペンブルグの誇りと日本の魂が融合した巨大な船体が、ゆっくりと、そして力強い汽笛を響かせながら離岸していく姿は、本当に胸が熱くなる感動的なシーンでした。

その後、約3ヶ月の航海を経て6月に無事日本へ到着。翌7月に母港である横浜でデビューを果たすと、日本のメディアでも大きく報道され、空前のクルーズフィーバーが巻き起こったのは記憶に新しいところです。

3. 2026年、横浜で感動の再会

そして2026年初頭。 仕事で日本を訪れた際、筆者は横浜の港に停泊する飛鳥IIIと感動の再会を果たしました。

あのドイツの小さな町で生まれた船が、今、日本の青い空の下で優雅に輝いている――。 その美しい姿を目にした瞬間、感激で言葉を失いました。

あの時の感動は、今でも鮮明に心に焼き付いています。



 (横浜の港に停泊する飛鳥Ⅲ。たくさんのギャラリーで賑わう風景)


4. 船内に刻まれた「Papenburg」の名

飛鳥IIIがこの街に残した足跡は、単なる工業製品としての「建造記録」にとどまりません。その魂の一部は、船内の特別な場所にしっかりと刻まれています。

数ある飛鳥IIIのレストランの1つに名付けられたのは、「Grill Papenburg(グリル・パーペンブルグ)」。

日本の最高峰豪華客船の中に、ドイツ北部の小さな田舎町の名前を冠したレストランが存在するのです。これはマイヤー造船所の人々はもちろん、この町で暮らす現地の人々にとっても、言葉に尽くせないほど光栄で誇らしいことに違いありません。

また、ビュッフェレストラン「EMS Garden(エムスガーデン)」には、飛鳥IIIとパーペンブルグにまつわる絵画や街の写真、プロジェクト関係者の写真なども展示されています。

遠く離れた日本の海を航行する飛鳥IIIの船内には、今もパーペンブルグの風と、あの町で育まれた情熱の記憶が息づいています。

 

おわりに

ドイツの一地方都市であるパーペンブルグが、日本の造船史における重要な舞台となった事実は、長く語り継がれるべき歴史の1ページです。

一時的とはいえ100名近くの日本人が滞在し、言葉や文化の壁を越えてひとつの巨大なプロジェクトを完遂したあの情熱的な日々。

飛鳥IIIが大海原を渡った今、この街に残されたのは単なる「ものづくり」の記憶だけではありません。世界最高峰の技術者たちが互いにリスペクトを捧げ合ったという、美しく温かい日独交流の足跡そのものなのです。



(横浜大桟橋から出港していく飛鳥Ⅲの勇姿)